2016年01月21日

秀吉は意外と神経質?

新カテゴリー「歴史・文化」を追加しました。

ほととぎすシリーズでおなじみの豊臣秀吉。
晩年は寒々しいくらい衰えを見せてしまいましたが、壮年期はたぶん信長・家康以上の器だったのではないかと個人的には思っています。
人たらし、ということばが一番似合うのはカレだろうなと。

そんな秀吉の資料が兵庫県で見つかったというニュース。
播磨は本能寺の変で引き返すきっかけにもなった地域。
中国地方は秀吉にとっては縁起がいい地域ともいえます。

以下引用です。

豊臣秀吉は相当、細かくて厳しい「上司」だったようです。

 2年前に大量に見つかった秀吉が家臣に宛てた文書。その33通の詳しい内容が分かりました。徳川を攻めた小牧・長久手の戦いでは、尾張にいる秀吉が三重県の伊賀の国を攻めるよう細かく指示。朝鮮出兵の手紙では「バラバラではなく、一緒に攻めろ」などと具体的な戦い方まで指示しています。秀吉の文書がこれほどまとまって見つかるのは珍しく、これらは有力な資料になると期待されています。

放任主義が信長なら。
締め付けるのが家康。
秀吉は真ん中だと思ってたけど、信長を反面教師にしたのかやや家康よりの思考みたいですね。

というわけで、歴史ヲタにはたまらないニュースでした。

昔はパソコンでしか遊べなかった「信長の野望」シリーズ。
いまはPSでヘビロテできます。
posted by トレンドさん。 at 22:36| Comment(0) | 歴史・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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