2014年08月10日

長崎原爆の日。

1日過ぎてしまいましたが。

8月6日 広島に原爆投下
8月9日 長崎に原爆投下
その後ソ連の参戦を経て・・・
8月15日 ポツダム宣言受諾。

ということになるんですが、長崎は小倉についで第二候補。
もともと小倉上空で落とす予定が雲量が多かったことから、第二候補に変更になった、と。

小倉であれ長崎であれ
無辜の民が犠牲になる事実は変わりません。

日露戦争のときには、引き際を決めて戦っていました。
国力が明らかに違うロシア相手に、長期戦では勝てない。
短期で圧勝して世界に知らしめたあと、すぐ講和に第三国を入れて持っていく。

これが功を奏して?結果アメリカの仲介でポーツマス条約が結ばれました。
日比谷公会堂で焼き討ち事件があったように

賠償金がとれなかった

のが問題になりましたが、冷静に分析すると

そもそもロシアに勝ったわけではない。ロシアが降参・降伏したわけでもない。

だから当然賠償金は取れない。

とはいえ当時はネットもなにもない時代。

新聞ラジオに連戦連勝をあおられたあげく、賠償金0では怒り狂うのも当然です。

と話はそれましたが、ようは

引き際を決めずに戦ったあげくが、この結果。

ということになるかと思います。

日露戦争時と同じく、前半はリードしていたわけです戦況。
そこで手打ちにすればよかったものを、慢心?過信があったのでしょう。

とまらずに突っ走りました。
原油の輸入がとめられた時点で、国力が約700倍も違う相手にけんかを売った以上、長期戦になればこうなることくらいは、予想はついたはず。

A級戦犯とか、他国に裁かれるのも納得しかねるところもありますが、

自国で裁いたとしても戦犯はいたはずです。

日本は戦後70年近く、総括をきちんとしていない印象があります。

極東軍事裁判でけりがついた=この話は終わり

みたいな流れになっている印象もあります。

もうすぐ終戦記念日。

考えるいい機会ではないでしょうか。

posted by トレンドさん。 at 22:27| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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